江上賢一郎さんが以下のサイトで「ベンチつくる、公園をつくる」という文章を書いてくださっています。
http://urban-potlatch.blogspot.com/2010/07/blog-post.html
「ベンチをつくる、公園をつくる」
東京で、ナイキによる公園の私営化に反対し、スクワットを続けているA.I.Rからの映像。東京都や他の大都市の行政は、意図的に公園や公共スペースから、普通のベンチを撤去しており、その代わり、長時間座らせないようにデザインされたベンチ(座る場所に傾斜がついているものや、間仕切りして横になれないようにしているもの)を設置している。このベンチの存在に気がついたのは、確か2004年頃、東京の上野公園でやけに座り心地の悪いベンチがあることに気がついたときだと思う。噴水前に並んでいたそのベンチは、一見、木製の普通のベンチだけれど、いざ座ってみると、傾斜がつけてあり重心が前方に来てしまい、中腰の姿勢になってしまうし、ベンチに仕切りがついているので横になることもできなかった。こういうふうに、ベンチという一見 という人を受容する機能の中にすら排除の論理を組み込むことに対する強い憤りと、同時に圧倒的な資本と権力のソフトパワーが街に浸透することへの無力感を感じたのを覚えている。
けれども、もし、そんな不愉快なベンチしかないならば、自分たちで、自分たちが良いと思うベンチを自分たちで作り出せばよいのだ、ということをこの宮下公園の映像は教えてくれる。ベンチを作り、その場所に置くということは、自分たちだけが使うのではなくて、他所から来た人を受け入れることも意味する。座ることで、誰もがその場所をゆっくり味わうように、体をその場に預けることがでるし、追い立てられるように歩かせられる商業空間を離れ、再び土地と身体が繋がっていくのを経験する。ベンチを作ること、そしてベンチを置くことは、資本に浸食されたフラットな空間に、クサビを打ち込む作業のようだ。クサビで開けられた小さな空間こそ、資本の終わりの場所、そして別の社会への想像力が始まる場所だと思う。
手作りのベンチと、下のベンチ、どちらのベンチに座りたい?
寝過ごすと身体に穴があく有料ベンチ
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PAY & SIT: the private bench (HD) from Fabian Brunsing on Vimeo.
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