「Parkさんと自律空間レアを語る夕べ」レポート
今回『PARKさんとRheaを語る』というイベントに参加し、「Rhea」(レア)に関する写真、話をPARKさんから聞きながら公共空間とは何か、公園とは何かについて改めて考え直させられた。というのも、宮下公園の現状と「Rhea」の背景にはいくつもの共通項のようなものが見て取れるからである。
私自身、宮下公園の現状についてはっきり理解しているとはいえないがPARKさん達が龍山(ヨンサン)のキャンドルメディアセンター「Rhea」で体験した系譜を見ることにより宮下公園の置かれている現状が俯瞰的に見ることができた。
韓国では現在、再開発が行われており、その再開発というのは空間を開拓するのが主体で住人には配慮されておらず公共性についても同様のことが問題となっている。
また、現在その再開発がなされている地域というのは貧困層の多い地域で再開発により貧困層の人々の居住区が無くなってきているという。そのような再開発が行われている地域の一つである龍山(ヨンサン)はソウルの真ん中に位置し、交通の要所としても機能している場所である。そのような場所に非正規のメディアセンターを作ろうという考えからキャンドルメディアセンター「Rhea」は作られた。「Rhea」は元々はビアガーデンで立ち退きに反対されて亡くなられた方が経営しておりその遺族の方達に了解を得て作られた空間である。「Rhea」は四階建てでそこはカフェ、ギャラリー、メディアセンター、とっても貧乏なアクティビストの宿泊施設という多彩な空間であった。そのことをPARKさんが複合闘争空間と言っていたのがとても印象的だった。
しかし、そんな「Rhea」も今年1月末に閉鎖された。撤退の際、行政に対しPARKさん達は3つの要求をした。1、遺族の保証 2、政府の謝罪 3、龍山再開発反対運動のなかで逮捕された仲間の釈放。
要求の結果、1は承諾され2は遺憾の意の表明に止まり3は却下された。そんな「Rhea」での生活をPARKさんは特別だったと振り返る。いろんな人達が来て対立とかもあったが、重要な事は出会いの場所であり安心して話すことができる場所として機能することである。と強調して言っていた。これは宮下公園が目指している場所そのものであり、そのような場所にしていくためのヒントは「Rhea」にあるのではなかろうか。
RINTARAW
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